こんにちはtorajiroです。
日本ボクシング界の移籍問題に風穴を開けた斉藤司選手が、三谷大和スポーツジムの三谷会長との裁判から4年の時を経て遂に復帰しました。
三谷大和スポーツジムはファイトマネーのピンハネ疑惑問題等々により2010〜2012年の時期に選手が大量に引退・移籍する騒動が勃発。
その後、斉藤司選手が三谷会長を相手取り未払いのファイトマネーの支払いや移籍の容認を訴える裁判を起こし、これが契機となってボクサーの移籍環境は大きく変わりました。
この記事では以下の順でこの騒動に影響を受けた方のその後を中心にまとめました。
- 日本ボクシング史に大きな影響を与えた斉藤司選手の裁判に至るまでの経緯
- 同時期に引退、移籍した三谷大和スポーツジムの選手のその後
- 三谷大和スポーツジムの現在
- 斉藤司選手の復帰戦情報
多くの選手が被害を被った一連の騒動があったからこそ今現役の選手達の環境が改善されたことは間違いありませんが、あんな事がなければと思わずにはいられません。
歴史を繰り返さないためにも今一度過去を振り返ってみたいと思います。
斉藤司選手が三谷会長との裁判に至るまでの経緯
斉藤司選手の裁判に至るまでの経緯は一力ジムの栗原慶太選手のYouTubeチャンネルで詳しく順序立てて語られていますのでまずは以下の動画をご覧ください。
動画の中では裁判に至る過程の中での斉藤選手の三谷会長への思いも紹介されておりましたが、親子の関係にも通じる非常に複雑な問題と受け止めました。
我が子に対して信頼関係故に行き過ぎた行動を取ってしまう親は少なくありません。親子の中で双方への愛はあるにも関わらず、親側の行き過ぎた行動によって時には子が親を訴えるような問題に発展することもあります。
- 寮生活を命じられ、寮費が払えないことで借金を抱え
- ジム住み込みで仕事をさせられ
- チケットノルマを達成出来ず借金を抱え
こうした問題が栗原選手の動画の中でも紹介されていましたが、いずれに関しても会長とジムの会員という一線引かれた関係性であれば、ここまでプライベートに踏み込むこともなく、そしてまたお金の問題がある意味ルーズに扱われる事はなかったはずです。
ジム会長と選手という関係を超えた深い仲だったが故に、三谷会長は行き過ぎた行動に出てしまったのではないでしょうか。おそらく自分の家族に対しても深い愛情を注ぐ一方で、心を許しているが故に激しく出てしまうこともあるタイプの方だったものと推察します。
三谷会長は同時期に家族の事でもトラブルになっていましたが、DV気質のある方だったのか。順調な時代もあっただけに何処で歯車が狂ってしまったのか。残念でなりません。
三谷大和スポーツジムから移籍・引退した選手達のその後
2010〜2012年に三谷大和スポーツジムから大量に選手がいなくなりましたが、騒動があった当時の三谷大和スポーツジムはとても勢いのあるジムで全日本新人王や日本ランカーを多数抱えていました。
あの頃の選手達がその後どうなったかを簡単に紹介します。
全日本新人王鬼ヶ島竜
三谷大和スポーツジムで全日本新人王となった鬼ヶ島竜選手。
最高ランクはミニマム級2位まで上がっていた時もありましたが、2011年の試合を最後に三迫ジムに移籍。
移籍後、WBCインターナショナルLフライ級王座決定戦に挑むも敗北。
その後2年間のブランクを経て復帰するも、勝ち星に恵まれず2014年の渡邉秀行戦を最後に引退。
18歳でデビュー。20歳で全日本新人王と早くから頭角を表していた選手ですが、最後ベルトにはあと一歩手が届きませんでした。
全日本新人王対決となった青野弘志選手との一戦はシーソーゲームで白熱した一戦でした。
全日本を獲った時に自分が一番に三谷会長にベルトを巻きたいと語っていた鬼ヶ島選手。三谷会長をリスペクトしていた時代が確かにあった中、高額と噂された移籍金を払ってまで出ていく決断をした鬼ヶ島選手。
一体そこにどんな葛藤があったのでしょうか。
日本ランカー岩井大
岩井大選手は2010年に当時上位ランカーだった松崎博保選手を破り日本ランカーに。
当時松崎選手を応援していた私torajiroは大ショックを受けた記憶が残っています。
しかしこの試合を最後に岩井選手も三谷大和スポーツジムを離れ三迫ジムへ。
三迫ジムでは移籍初戦がフィリピンでWBCユース・シルバー フェザー級タイトルマッチ。
このチャンスに見事勝利し、ユース・シルバーフェザー級の王者となりました。
激闘型の選手で2015年には伊藤雅雪選手とOPBFのSフェザー級王座を争い、2017年には源大輝選手とフェザー級の挑戦者決定戦を争いましたがいずれも敗戦。
最終試合は2019年7月。
ワタナベジムの渡部大介選手に敗れて引退。
激しい試合の多かった選手なので体のダメージが心配でした。
岩井氏の現在はパーソナルトレーナーとして活動されているようです。
世界ランカー撃破の福本雄基
福本選手は2011年に世界ランカーの國重隆に勝利した試合を最後に三迫ジムに移籍。
移籍後は強敵相手の試合で連敗しましたが、そこから這い上がり2015年には江藤光喜選手の保持していたOPBFフライ級タイトルにも挑みました。
引退後の福本氏は現在スポーツブランドJIACROの代表を務めており、三谷大和ジムがある千葉県八千代市の隣、佐倉市のユーカリが丘駅前でボクシングジムJIACROも経営しています。
女性会員中心で2年前にオープンした綺麗なジムで、最近は男性会員も募集を始めました。
ユーカリが丘は山万という不動産会社が街づくりを手掛けているエリアで、様々なメディアで紹介され、その住みやすさとブランドで周辺相場よりも圧倒的に地価が高い事も有名です。
夢のある街ですが、一方でテナント料が高いので撤退する企業も多いという課題もあります。
そんな街の駅前一等地でジム運営を成功させているのは凄いこと。
ユーカリが丘は福祉と子育ての街でもあるので、高齢者コースや子供向けコースも設けてみたら山万の街づくりの理念にも合致して地域性を高めていけるかもしれません。
何にしてもこうして社会で活躍している元ボクサーの方がいるのは嬉しい限りです。
元選手の雇用の受け皿になりたいという想いも持っておられる福本氏の更なる活躍に期待しております。
ハードパンチャー加藤健太
今や東の策士と言われ、拳四朗選手のトレーナーも務めている加藤健太トレーナーも現役時代は三谷大和スポーツジムに所属していました。
現役時代はかなりのハードパンチャーで今のトレーナーとしての姿とは全然印象が違いました。
新人王トーナメントではSライト級でエントリーし、2006年の東の決勝では宮田ジムのイケメンボクサー吉田真選手に敗れ、2008年は同じく当時宮田ジムの細川バレンタイン選手に予選で敗れました(引き分け敗者扱い)。
新人王トーナメントでは長いこと宮田ジムの選手が活躍していましたが、新しいジムで勢いがあるなぁと思っていたのが三谷大和スポーツジムでした。
加藤トレーナーの場合はジムの騒動で引退したのではなく、網膜剥離が発覚し、2010年の試合を最後に引退。
A級ボクサー川瀬伊達男
現在三谷大和スポーツジムにはイケメン淳選手がいますが、イケメン淳選手の名前を見ると思い出すのが川瀬伊達男選手。
階級も同じSフェザー級で戦績も似ています。見た目は全然違いますが。
伊達男選手は日本ランキングには手が届きませんでしたが、A級で多くの強豪と拳を交えていた選手。しかし自身のブログで三谷会長のピンハネを暴露して引退。
同時期にBOXFIGHTというパンチ主体の格闘技イベントへ参戦していましたが、このイベントも立ち上げから僅か2年程でなくなってしまいました。
最後の現役宮内義弘
三谷大和スポーツジム出身の選手はほぼ全員引退していますが、約10年振りに今年復帰した選手がこの宮内義弘選手。
理学療法士として働きながら、更に2児の父。一体どこで練習時間を確保しているのか不明です。
宮内選手は千葉県の銚子ジムで現役復帰し、東日本新人王トーナメント予選で宮田ジムの橋場大樹選手と対戦。
結果は4RTKO負けでしたが、橋場選手はリーチがあり出入りのスピードも早くとってもやりづらいサウスポー。10年振りの復帰戦で橋場選手はやや気の毒ではありました。
こうして再びリングに上がる選手がいると勇気を貰います。
宮内選手は銚子ジムの休会に伴い何と三谷大和スポーツジムに復帰。
現役最後の1戦を三谷ジム所属で戦うことになるかもしれません!!
三谷大和スポーツジムの現在
三谷大和スポーツジムは移籍騒動後、殆どプロ選手がいない状態が続きましたが、最近になって全盛期程ではありませんが再び活躍するプロ選手が現れてきました。
- 日本バンタム級ランカーの梅津奨利選手は2021年度の全日本新人王。
- スコーピオン金太郎選手が2022年度新人王トーナメントで全日本の決定戦を制し、大会MVPに選出。
>>2022全日本新人王決定戦の展望勝敗予想・結果〜注目度は東軍も実力者揃いの西軍
スコーピオン金太郎選手に関してはトーナメント初期からSライト級の東を制するだろうと予想していましたが、予想以上のパフォーマンスを見せてくれました。
梅津選手やスコーピオン金太郎選手のような良い選手が出てきて、徐々にプロボクサーも増え始めた三谷大和スポーツジム。
喜ばしい事ですが一方で「歴史は繰り返す」という格言もあります。
「好事魔多し」なんて言葉もあります。
再び勢いに乗り始めた三谷大和スポーツジムが過去と同じ轍を踏まないよう願います。
斉藤司選手の復帰戦
斉藤選手の復帰戦は11月30日(水)に後楽園ホールでタイの選手相手に6回戦で行われました。
約7年のブランクがありながらブランク前と同じライト級で試合をすることには驚きましたが、仕事に介護にPTA会長にと多忙を極める斉藤選手が全盛期に比べてどれ程の動きを見せることが出来るのかに注目していました。
7年振りのリングに上がった斉藤選手は思った以上に仕上がった体。
サウスポーのアヌーチャ選手相手に落ち着いた丁寧なボクシングを展開。
決して悪くない立ち上がりなのですが、東日本新人王の決勝でサウスポーの澤井大祐選手をイケイケのボクシングでKOした時の斉藤選手を思い出し、抗いようのない時の流れを深く深く感じました。
あのイケイケで母親思いで三谷会長をリスペクトしていた斉藤選手をあのまま見ていたかった。
全日本新人王を獲った後の斉藤選手の物語の続きを見てみたかった。
そんなやりようのない思いが胸に去来しつつも、久しぶりの斉藤選手の立ち上がりは決して悪くありませんでした。
2R目も落ち着いて組み立てていましたが、アヌーチャ選手がかなり好戦的に攻めてくるのでやや後手に回っている印象も。
しかし3R目に強引に攻めてくるアヌーチャ選手に右カウンターを叩き込み、アヌーチャ選手が大の字にダウン。
最後は見事にワンパンチで仕留めました。
まとめ
斉藤司選手が一力ジムから復帰し、トラブルがあった三谷大和スポーツジムもかつての勢いを取り戻し始めています。
過去の事は水に流してこれからに期待したい面もありますが、運命に振り回された方々の事を思うと複雑な気持ちもあります。
人間は簡単には変わりません。
過去の歴史を教訓に、同じ過ちを繰り返すことがないよう身近な方々はアンテナを張っておく必要はあるかと思います。
再び活躍する選手が出始めた今が一番気をつけておきたい時ですが、斉藤司選手の起こした裁判によって移籍可能な環境が今は構築されています。
何か問題が生じたら選手はあっという間にいなくなり、ジム経営も難しくなるのが現状です。
手塩にかけて育てた選手が大手に移籍してしまうというリスクも高くなり、ジム経営者側にとっては厳しい時代になりました。
ジム間の競争の激化によって数年後には日本のボクシングジム環境は大きく変わっているかもしれません。