こんにちはTorajiroです。
元WBAミニマム級世界チャンピオンの星野敬太郎さんが亡くなられました。
死因は不明ですが、52歳という若さでした。
まだまだ自分の中では現役時代の活躍が思い出される選手なだけにショックが大きかったです。
2000年当時、世界王者のまだ少ない時代に、8年振りにミニマム級のベルトを日本にもたらした星野さんは、様々な面で記録にも記憶にも残るちょっと珍しい選手でした。
星野敬太郎さんを偲び、一ファンとして現役時代の活躍をここに記すとともにご冥福をお祈り致します。
日本のジム初の師弟世界チャンピオン
星野敬太郎さんは現役時代花形ジムに所属していました。
ジムの会長である花形進さんは元WBA世界フライ級王者で、当時はまだ元世界王者の立ち上げたジムから誕生した世界チャンピオンは一人もいませんでした。
星野さんは元世界王者のジムから誕生した初のチャンピオンとして当時話題になったことを記憶しております。
チャンピオンのジムからチャンピオンは育たないというジンクスを打ち破った功績は偉大です。
20年前もボクシングの人気は下降気味と言われていましたが、あの頃はまだ世界チャンピオンも少なく、星野選手の活躍も今と比べれば注目を集めていましたっけ。
とんかつ屋ボクサーとしてリアルなボクサーの暮らしが認知された
世界王者になった当時、星野さんはとんかつ屋に勤務していたことでとんかつ屋ボクサーとしても話題になりました。
その質素な暮らし振りがクローズアップされる事で、ボクサーのリアルな暮らし振りが広く世間に認知されることとなりました。
当時テレビを見ていて「厳しい世界だなぁ」と思いましたね。まだまだボクシングファンになって日の浅かった私は、世界レベルで戦う選手というものはボクシング1本で生活出来ているものだと思っていましたので。
2017年に木村翔選手が上海で中国のスーパースター、ゾウ・シミンを破って世界を獲った時、木村選手の質素な生活振りが中国国内でも紹介されて中国にて爆発的な人気を得る事となりました。木村選手の生活の様子が流されたVTRを見て、昔星野さんもこんな感じで紹介されていたなぁと懐かしい気持ちになったものです。
その木村翔選手が現在花形ジムに所属しているのも運命めいたものを感じています。
芸術的なスリッピングアウェイからのあっかんべー
星野敬太郎選手の代名詞と言えばその芸術的なスリッピングアウェイが有名でした。当時はただ格好良いとしか思っていませんでしたが、自分がその後にボクシングを始めて、とても真似できる代物ではないことが良く分かりました。
改めて当時の映像を見返すと、ただスリッピングアウェイをしているだけではなく、避けてからすぐに打ち返していたり、避けた後であっかんべーをして当たっていない事をアピールしたりと、ジャッジにパンチを貰っていると勘違いされないように細かな工夫もしていた事に気付かされました。
ラウンド終了のゴングがなった時にパンチを避けながらクルリと背を向けてコーナーに戻る姿に痺れたものでした。あれは最高に格好良かったです。
ミニマム級に8年振りの世界のベルトをもたらし、ミニマム級の一時代を築いた功績
星野敬太郎さんがガンボア小泉を破って大橋秀行氏以来、8年振りにミニマム級のベルトを日本にもたらした事で、一時期日本のミニマム級が一気に熱くなりました。
世界は獲れなかったけれど鈴木誠選手や中島浩選手といったライバルにも注目が集まりました。
星野敬太郎さんが敗れたチャナ・ポーパオイン選手に新井田豊選手が勝って世界のベルトを取り戻したり、星野敬太郎さんが最後に敗れたホセ・アントニオ・アギーレ選手を後に角海老宝石ジム所属のイーグル京和選手が圧倒したり、その後に高山勝成選手が出てきたり。
星野さんをきっかけにして、ガンボア小泉、チャナ・ポーパオイン、ノエル・アランブレッド、ホセ・アントニオ・アギーレといった外国人選手の認知度が上がり、こうした選手と日本所属の選手が戦う時の注目度も上がりました。
あの頃のミニマム級が熱くなったのは星野敬太郎さんの活躍があったからこそだと言えます(チャナ選手の老獪なボクシングには相当イライラさせられましたっけ)。
A級ボクサーになるまでに5回も負けて世界チャンピオンになった男
星野敬太郎さんの注目すべき点の一つとして、デビュー戦での敗北も含め、A級に昇格するまでに5回も負けていたという点があります。
下積み時代にここまで負けて世界王者になった選手って星野さんの他にあの当時も今もいないのではないでしょうか。
よっぽど練習して強くなったのか、負けていた当時よっぽど練習していなかったか、当時の花形ジム関係者の話によると、そのどっちもだったようです(笑)。
すぐに試合中に嫌になって倒れてたと。星野さんが最後アギーレにTKO負けした時、また嫌倒れをしてしまった的なコメントを残していましたが、花形ジム内でも星野さんの嫌倒れはネタになっていたのかもしれませんね。
引退試合となったアギーレ戦は見せ場も作っていたし、最終ラウンドまでよく粘っていたと思いましたが。
天才肌のボクサーだったのかもしれませんが、ガードは固く、基本に忠実で技術レベルは当時も群を抜いていたことも捕捉しておきます。
また、キャリアの序盤で躓いた選手達にとって、星野さんの実績は希望の光でもありました。
引退と現役復帰を繰り返した人間臭いボクサー
星野さんは現役時代、何度も引退宣言をしては復帰していました。
あそこまで頻繁に引退と復帰を繰り返した選手も星野さん以外にいないんじゃないかと思います。
気分屋なところはあったのかもしれませんね。メンタルは少し弱かったのか、それとも爆発的に気持ちを高めて燃え尽きてしまうタイプだったのか。
でもそうした人間臭さがまた魅力で、「今度は辞めるなよ〜、あ、また辞めるのか、、」なんてヤキモキさせられながら、気がつけば星野さんのファンになっていました。
まとめ
こうして星野敬太郎さんの現役時代を振り返ると、ボクシング界に大きく貢献されていた方だったという事に改めて気付かされました。
功労者として引退後も日本ボクシング界を盛り上げてくれる可能性を持った方だっただけに、今回の訃報は残念でなりません。
色々不運もあったことはあえて書きませんが、星野敬太郎さんの活躍は今後も自分の中で色褪せることなく生き続ける事でしょう。
あの頃を懐かしみスリッピングアウェイを真似たところ首筋に電気が走り、夜になって段々と痛みが増してきました。
この首の痛みと心の痛みが天国の星野敬太郎さんに届いて欲しい。
星野敬太郎様、まずはゆっくりお休みください。私の青春に彩りを与えてくださりありがとうございました。