”中京の怪物”4階級制覇王者の田中恒成選手が目の怪我を理由に引退を表明しました。
「熱くなってきたSフライ級、もしくは燃え上がるバンタム級に田中恒成がどう絡むのか?」
そんな期待を抱いていたボクシングファンにとってはショッキングなニュースだが、誰よりも無念なのは田中恒成選手本人でしょう。
関東でも関西でもない、中京からボクシング界を震わせる田中恒成選手の存在はとても大きな意義がありました。
無念な気持ちは一旦抑え、本記事では田中恒成選手が成し遂げた偉大な記録の数々を振り返ることにします。
世界史上最速の4階級制覇は田中恒成
田中恒成選手が成し遂げた世界4階級制覇を日本ボクシング史において達成したのは田中恒成選手を含めて3名。
- 井上尚弥(Lフライ級、Sフライ級、バンタム級、Sバンタム級)
- 井岡一翔(ミニマム級、Lフライ級、フライ級、Sフライ級)
- 田中恒成(ミニマム級、Lフライ級、フライ級、Sフライ級)
井上尚弥、井岡一翔と並ぶ偉業を成し遂げているのが田中恒成選手なのです。
更に田中恒成選手が4階級制覇を成し遂げたのは21戦目。
これはオスカー・デラホーヤ氏の24戦目を超える世界最速。
ボクシングの世界史において日本人ボクサーがNo.1となる記録はほぼない中でこれは異例の記録です。
更に3階級を制覇したのは12戦目。
これもワシル・ロマチェンコ選手と並ぶ世界最速記録となっています。
国内最速5戦目での世界タイトル獲得
田中恒成選手が世界のベルトを獲得したのはなんとプロデビューから5戦目。
これは日本国内最速の記録。
この記録を達成するためにデビュー戦から世界ランカーと戦うというイバラの道を歩み、プロ4戦目で日本&東洋太平洋のベルトを持ち世界挑戦間近の原隆二選手にアタック。
一進一退の攻防で終盤に抜け出し10R TKO勝利した田中選手は5戦目でのWBOミニマム級王座決定戦に歩を進めました。
この時の原隆二選手はただの王者ではありませんでした。
アマ4冠の実績を持ち、当時18戦18勝無敗の世界上位ランカーだった原隆二選手に勝利して世界への切符を手にしたのです。
原戦で文句なしの実力を証明してから怒涛の4階級制覇の道のりが始まりました。
22戦のうち12戦が世界タイトルマッチ
田中恒成選手の戦績は22戦20勝(11KO)2敗(1KO)。
この22戦のうち世界戦は実に12戦!!
キャリアの半分以上が世界戦というプロキャリア。
並の精神力ではこの世界戦続きの日々に心も体も壊れて22戦も戦い続けることは出来なかったでしょう。
世界戦のラウンド数は12R。
世界トップクラスの選手達との激闘に次ぐ激闘でファンが知らないところで試合数以上のダメージを被っていたはずです。
獲得した4階級のベルトは全てがWBO
小ネタみたいになりますが、田中恒成選手が獲得した世界のベルトはいずれの階級もWBO。
WBOと癒着があったとかそういうことを言いたいのではなく、王座を返上して階級アップした後で上位にランクされ、すぐにタイトル挑戦の機会がやってきます。
このワンチャンス確実にものにしてきたことで結果的にWBOベルトのコレクターになった田中恒成選手でした。
王座返上後、階級アップして挑戦までの期間は毎度1年のスパンを設けていましたが、それでも1階級上げることの影響はとてつもなく大きいです。
極限まで絞り切っている人間の1階級の違いは一般人のそれとは全く違う。
ボクサー同士で階級を上げた時の話をしていた時に聞いてなるほどと思った表現は「骨からして違う」。
この骨の違いは向かい合って殴り合った人にしか分からない感覚かもしれませんが、1階級の変化はそれくらい大きいのです。
WBOが認めた木村翔との年間最高試合と井岡一翔戦

数々の記録を残した田中恒成選手ですが、彼のボクシングは記録だけではなく記憶に深く残るものでした。
順調に複数階級を制覇していったように見えますが、そのファイトスタイルは好戦的で時にファンをハラハラさせるものでした。
時には格下相手に序盤にまさかのダウンを奪われ会場がどよめくことも。
個人的に田中恒成選手のベストバウトは木村翔選手とのWBOフライ級タイトルマッチです。
この試合はスピード差もあったので田中恒成選手が足を使ってポイントアウトするかと思いきや、まさかまさか、パワーある木村翔選手と気が付けば真っ向からのどつきあい。
相手の土俵で打ち合い、お互いに大きく顔を腫らしながら田中恒成選手が僅かな差で勝利しました。
相手の持ち味を全て引き出した上で勝つ。まるでプロレスラーのような田中恒成選手のハートを感じた試合でした。
この試合はWBOからも年間最高試合に選出される大激闘でした。
Sフライ級に階級を上げて挑んだ井岡一翔戦も戦前予想は五分。
田中恒成がスピードに乗って井岡一翔を捌き切る!と予想する人も結構いたと思います。
(僕は田中恒成は絶対に打ち合いを挑んじゃうから一翔が勝つと予想していました。)
結果、やはり打ち合いを挑んで返り討ちにあいましたが1R目に見せたハイスピードボクシングには度肝を抜かれました。
田中恒成選手の数々の試合の中でもこの試合の1R目は自分の中で特に印象に残っています。
記録にも記憶にも残った”中京の怪物”がリングを去る
名残惜しい気持ちはありますが、目の怪我は失明手前。
これ以上の現役続行は後の人生にも影響を与えてしまいます。
田中恒成選手が残した数々の記録と記憶に残る試合は日本ボクシング史とファンの心に大きな1ページを刻みました。
全日本新人王決定戦で中日本ボクサーのリングサイドに田中恒成選手がいるとそれだけで圧があった。

中日本ボクサー達も田中恒成選手の背中を追いかけて後に続いてくれることでしょう。
頑張れ中日本ボクサー達!!
そして田中恒成選手、思い出をありがとうございました。