通称袴田事件で知られる元プロボクサーの袴田巌氏。
長い長い時間、多くの方が冤罪を訴え袴田氏を支援し続け、2024年9月26日についにやり直しの裁判結果が言い渡されます。
袴田事件についてはボクシングファンなら何度も聞いてきた話。
概要は日弁連のサイトが簡潔にまとまっていて分かり易いです。
この問題に対する元々の僕のスタンスは以下でした↓
袴田事件に対するスタンス
- 年月が経過し過ぎていてもはや冤罪がどうか判断不能。
- 冤罪であったとしても過ぎ去った年月は戻らない。
- そう考えるとつらくてこの問題は直視できない。
というスタンスでしたが、袴田氏を応援する飯田覚士氏の以下のポストを読んでふとある疑問がわきました。
今の時代でもボクサー・元ボクサーに対する偏見は強い。
当時の偏見は果たしていかほどだったのだろうか。
この点について興味が湧くも、映画や漫画等は当時のリアルをそのまま伝えているものではない。
袴田氏寄りの描かれ方になっているものでは当時の様子は分からない。
出来れば当時の状況がニュートラルに書かれた資料はないものか。
ということで過去の新聞記事を探してみた結果、偏見云々とは別に逮捕当時に書かれた記事のある描写がとても引っかかり、この事件は冤罪なんだろうなと強く感じるようになりました。
読売新聞【昭和41年】1966.8.18(木)の記事にあった描写に感じた冤罪の可能性
袴田事件発生当時の記事を調べるため、ヨミダスで過去記事を検索してみたところ、読売新聞の古い記事がいくつか見つかりました。
1966.8.18(木)の読売新聞夕刊で、袴田氏が自身が従業員として働くミソ醤油製造業店の一家四人の強盗殺人放火事件の容疑者として連行されたことが報じられていました。
この時の記事の「ある一文」が僕はとても引っかかりました。
袴田の押収したパジャマには他人の血や放火に使われた油がついていることがわかり、同本部では逮捕状をとって、袴田を連行した。クリーム色の半袖シャツ、茶色のズボンというさっぱりした普段着で薄笑いまで浮かべ、むしろ連行した刑事の方が緊張した表情だった。
読売新聞【昭和41年】1966.08.18(木) 夕刊 7頁
この最後の一文です。
「袴田氏は薄笑い。一方の連行した刑事は緊張した表情だった。」
この一文を読んで「袴田氏は冤罪なんだろうな」という印象を強く持ちました。
殺害していたのであれば普通の人間はこの場面で薄笑いを浮かべる余裕なんてない。
笑えるとしたらよっぽどのサイコパスです。
この記事は刑事の緊張と対比される形で暗に「袴田氏が異常者である」という印象を与えようとしていたのかも知れませんが、その他の記事を読んでいてもこの時の袴田氏が精神異常者であるとはとても思えません。
この時の薄ら笑いは「え!?なんで俺が??」という苦笑いだったのではないか。
何もやってないんだからどうせすぐ釈放されるだろうと、そういう余裕があったから笑っていられたのではないでしょうか。
かつて逮捕されて笑みを浮かべた元ボクサーの誤認逮捕
2008年12月、元日本Sバンタム級チャンピオンの中島吉謙氏が恐喝の疑いで逮捕されました。
この時の報道でテレビに映った中島氏は笑みを浮かべており、その様子がいかにも悪い男といった印象を与えるような形で報道されていました。
連行される際の袴田氏の描写と似ています。
しかしこの逮捕は後日、事実誤認に基づく逮捕であったことが判明しました。
この時の心境について中島氏は以下のように語っていました↓
刑事に連行され外に出たらテレビ局が来てる。
僕はその時は絶対悪い事をしてないという自信があったので、なんだか馬鹿らしくなり笑ってしまいました。
袴田巌氏が連行された時の心境もこれと同じだったのではないでしょうか。
詳しくは中島氏のブログがまだ残っているので以下も読んでみてください↓
人を殺して連行された犯人が涙ながらに自供するだろうか?
冤罪の可能性が高いと感じたもう一点は自供をした際の記事の内容です。
こちらも読売新聞の当時の記事を引用します。
がん強に否認を続けてきたが、逮捕からまる二十日目の六日午前十一時ごろ犯行を認めた。
読売新聞【昭和41年】1966.09.07(水) 朝刊 15頁
自供によると犯行時刻は六月三十日午前一時三十分ごろで、金がほしくてパジャマを着たまま藤雄さん方にしのび込み、一家四人を殺したうえ放火したという。
この日、取り調べ官が逮捕のきっかけとなったパジャマについていた血液について聞いたところ袴田は下を向いたまま涙を浮かべ「血液は犯行の時ついたものです」と答えた。
「やっぱりお前の犯行ではないか」ときびしく追及すると袴田は「あの事件はわたしが一人でやったことです」とうなだれた。
この部分を読んで、「仮に袴田氏が殺人犯で連行された際に薄笑いを浮かべる余裕のある人物であれば、下を向いて涙を浮かべるような状態になるはずがない。」という疑問を抱きました。
これでは逮捕時の様子と辻褄が合いません。
一方、袴田氏が犯人ではなかった場合、
- 「なんで自分が??」という苦笑い。
- 「でも自分はやっていないから大丈夫だろう。」
- そこから二十日間「お前の犯行ではないか」という厳しい取り調べ。
- 精神と体力の限界が来て、もう自分がやったことにするしか解放される道はない。
- 涙ながらに「あの事件はわたしが一人でやったことです」と台本の棒読みのような供述に。
これなら辻褄が合います。
自供後もすぐに犯行の動機を話さなかったことも書かれていましたが、話さなかったのではなく、動機がないから話せなかったのではないか。
その後の成り行きについては冒頭で紹介した日弁連のサイトに詳しく書いてありますが、ツッコミどころが満載な状態です。
5分もあれば読めます↓
まとめ:袴田事件が現代に伝える教訓
過去においては国家権力が無理やりな証拠で一人の人間の人生を台無しにすることが出来ました。
「昔だったからあり得たこと。今だったらこんなのとても許されることではない。」
そう感じている方も多いと思います。
果たして本当にそうでしょうか。
今の時代、SNS上ではたくさんのデマ情報が拡散されています。
時にはマスコミやインフルエンサーが主導し、鵜呑みにした匿名の何十万という人々が特定の個人を攻撃している光景を日常的に目にします。
国家権力が動かずとも、私人の群れの力によって一人の人間の人生を壊せてしまうのが現代です。
証拠の捏造、集団での脅迫、愚かな行為が年がら年中世界中で行われています。
日々流れてくる情報を鵜呑みして誰かを叩く前に、一歩立ち止まり、「これって本当だろうか?」という疑問を持って掘り下げていく。
一人一人がそういう姿勢を持つことが大切です。
自分達の手で第二の袴田巌氏を生み出してはいけません。