こんにちはボクシングブロガーのtorajiroです。
急性硬膜下血腫による引退からJBCのルール改定で復帰した元WBOミニマム級世界チャンピオン山中竜也選手。
- ライセンス再発行の申請要件でJBCに定められたラウンドでしか試合ができないという条件があり。
- まずは6回戦からのスタート。
- そして復帰3戦目で12R戦いWBOアジアパシフィックのベルトを手に。
ここまでのところ急性硬膜下血腫の後遺症等の心配はなさそう。
しかし本当に再発の心配はないのか??
こういう時に頼りになるのが過去の先例ですが、あいにく日本ではずっと急性硬膜下血腫=引退というルールでやってきたので、国内では過去の事例がありません。
ただ、このルールがあるが故に、日本を飛び出してアメリカで奇跡を起こした日本人ボクサーが過去にいました。
急性硬膜下血腫を患いアメリカで再起した岡田隆志選手
2022年にJBCのルール改定があるまで、急性硬膜下血腫を患うと日本でリングに上がることは不可能でした。
日本ではJBCルールでリングに上がれないが、海外なら可能。
そこでかつて急性硬膜下血腫を患い日本でリングに上がれなくなった一人のボクサーが活動拠点を求めてアメリカに渡りました。
それがMTジムトレーナーを経て現在KWORLD3ジムで但馬ミツロ選手らを担当している岡田隆志氏です。
岡田さんはアマチュア時代に全日本王者にもなった将来有望な選手でした。
が、練習中の怪我で急性硬膜下血腫を患い、JBCの規定によって1戦で日本ボクシングから引退せざるを得ない状況に陥りました。
岡田さんの症状は軽く、すぐに完治して医師の診断でも問題なしとの事だったのですが、JBCが岡田さんの復帰を認める事はありませんでした。
妥当な判断だとは思いますが。
普通だったらそこでボクサーの道を諦めるところ、なんと岡田さんはアメリカでボクシングを続ける道を選びます。
どんだけボクシング好きなんだ??
そして岡田さん紆余曲折を経てアメリカでのデビューを実現させてしまうのです。
アメリカでのデビュー戦はドロー
アメリカでのデビュー戦は唐突に、試合1週間前に決まったそうです。
その相手はブルーノ・エスカランテ選手。
結果は引き分けでしたがこの選手、実は全米でアマチュア2位、3位の実力を持ち、17歳の時に当時現役バリバリの坂田健史選手が世界チャンピオンになる前にスパーリングし、坂田陣営を驚かせたボクサーのようです。
一週間前に決まった試合の相手がこんな強敵。
しかもアメリカ。
それでもドローなんだから大したものです。
そしてこの4ヶ月後、ボクシングファンを驚かせた有名な1戦を迎えます。
アメリカでアマチュア金メダリストを相手に大番狂わせを演じる
岡田さんのアメリカでの2戦目の相手はアマチュアの世界選手権金メダリストのマックウィリアムズ・アローヨ。
後に井岡一翔選手と対戦した元WBC世界フライ級暫定王者のアローヨ選手を相手に岡田さんは大金星!!
完全なかませ犬として呼ばれた試合で大番狂わせを演じたこの一戦は今もYouTubeで視聴可能です。
当時このニュースを知った時はとんでもない日本人ボクサーがいたものだと驚愕。
アメリカで結果を出してくれた事がめちゃくちゃ嬉しかったです。
あの将来の世界チャンピオンも撃破!!
その後も岡田さんは勝ち星をあげていきますが、日本にいればトントンと決まっていく試合も中々決まらなかったり、突然試合が決まったり、厳しい環境であることに変わりはありませんでした。
この時に勝ち星をあげた試合相手には、後のスーパーバンタム級統一チャンピオンのあのダニエル・ローマンもいます。
もちろん当時はダニエル・ローマンがそんなにすごい選手だとは知らなかったし、ダニエル・ローマンが久保隼選手に勝って世界チャンピオンになった時も岡田さんが試合した選手だとは気づかず。
期待していた岡田さんですが、アメリカでは思うように試合が決まらず、怪我やファイトマネーが稼げない、子供が生まれるといった環境の変化の中で試合に敗れ引退を決意しました。
この辺りの事は岡田さんアメブロの以下のブログ記事を読んでみてください。
夢に向かって挑戦した事のある人は必読の記事。
僕は以下のくだりがめちゃくちゃ刺さり、泣きました。
家族の為 = ボクシングをすること は遠くかけ離れていると私は思っています。
家族がそれを望むなら話は別。
一試合で大金が入るなら話は別。
全くそれに当てはまらない私の競技生活。
それでも、自分の為 = 家族の為 にいつか繋がると信じてもう少し続けようと思いました。
自分のやるべき事はボクシングだと信じて。
そしてその翌年、一戦挟んだものの当時と対して変わらない現状のまま今度は娘が無事誕生してくれました。
私は何よりも妻と娘と生きていくことを優先したいし、二人を生かす事を最優先したいという思いに焦がれました。
ブログ納め~最後の世迷言~
なんと形容したら良いのか、肉感のこもった言葉と表現したら良いのか。
上辺ではなく本心から綴られたこの文章は心に刺さりました。
岡田さんの実力からしたら、
急性硬膜下血腫が無ければ、
日本にいてもっと恵まれた環境で練習して、
試合を組めていれば、
世界チャンピオンだって現実にあり得た
と僕は思います。
でも、そうならなかったからアメリカで大番狂わせを起こしてこれたし、誰も歩んだことのない道を開拓してこれた面もあります。
岡田さんが選手として開拓した道はきっと次の世代に繋がっていくでしょう。
引退後M.Tジムのトレーナーとして世界チャンピオンを育成
岡田隆志さんは引退後、M.Tボクシングジムでトレーナーとして選手の育成に励みました。
M.Tボクシングジムでは中谷潤人選手らの育成に携わり、名参謀として注目されていました。
岡田さんの海外で闘ってきた経験も中谷選手らを育成する上では大いに役立ったと思います。
M.Tジムを経てKWORLD3ジムで3150FIGHTのリングに登場
岡田隆志さんM.Tジムのトレーナーを経て、現在はKWORLD3ジムで但馬ミツロ選手らの育成に携わっています。
課題も顕著になってきた但馬ミツロ選手を更なる高みに押し上げるキーマンとなれるか!?
セコンドに岡田さんがいると観客も安心するし、選手が強く見えてきます。
逆に敵サイドに岡田さんがいたらそれはそれは嫌でしょうね。
まとめ
山中竜也選手の復帰で思い出した岡田隆志選手の活躍。
山中竜也選手は復帰後特に問題なく試合をこなし、WBOアジアパシフィックのベルトを獲得。
再び世界への道が現実味を帯びてきました。
そして岡田隆志さんもM.TジムからKWORLD3ジムに移り、但馬ミツロ選手らの育成に携わり新たなステップへ。
今後は3150FIGHTのリングに登場する機会が増えるはずですので、岡田隆志トレーナーの存在にも注目したいと思います。